2015年09月13日

乱暴な言葉、きつい言葉を言わなくなって優しいママに変われる超簡単な方法



子どもを「ちゃん付け」で呼ぶようにする。


めっちゃ簡単やけど、効果抜群です。
ちゃん付けで呼んだその瞬間から言葉づかいが変わるから不思議です。




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2015年09月12日

ガイアシンフォニー 地球交響曲第八番


 僕が尊敬するうちの家庭教師の先生のお一人、河合先生がイベントをされます。

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 これはドキュメンタリー映画で、各界の著名な人たちが「地球の声を聴く」「樹々の声を聴く」「宇宙の声を聴く」といったコンセプトで色々に語られている映画です。

 日時と場所は、

 9月26日(土) 1回目:10時30〜/2回目14時〜/3回目18時〜
          (各回30分前より受付開始)
 加古川総合文化センター 大会議室 (加古川市平岡町新在家1224-7)

 
[ここに地図が表示されます]

 
 アクセス:JR東加古川駅北口より北へ徒歩10分
      加古川東ランプ北へ3分(有料駐車場あり)
 料金 前売り1200円/当日1500円
 問い合わせ open_sesami52530@gaia.eonet.ne.jp
     080-5633-0997/080-3100-7797(河合)
 主催 かわい音楽村


 僕も10年くらい前に一度、加古川の総合文化センターにこの「地球交響曲シリーズ」の第1番を見に行きましたが、おもしろかったです。環境や自然保護、自然と共に生きるということについて興味のある方にお勧めです。

 
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2015年09月04日

MONEY IS LOVE 〜お金は愛〜


 「お金は愛やで。」

 僕はそんなふうに生徒に言う時があります。

 なんてことを子どもに教えているんだとお叱りの声が聞こえてきそうですが、この言葉にはもう少し続きがあるのです。

 
 「先生(ボクのこと)はさあ、親の味方と違って子どもの味方やろ。宿題をもっと出して下さいって言われても断るし、学校の宿題かて手伝うし...。先生はいつも親ではなくて君の役に立ちたいと思っている。そんな家庭教師をお金を出して君につけてくれてはるのは、それは愛と違うか。決して親の思う通りにはやってくれへん。でも、きっと君の力になってくれる。そう思ってお金を出してくれはるのは、やっぱり親の愛やと思う。」

 
 親が子どもに家庭教師をつける目的には2種類あります。

 1つ目は、親の望みを叶えるため。
 ◯◯高校に行かせたい、とか。もっと勉強させたいとか。とにかく子どもの気持ちよりも親である自分の願いだとか不安のために家庭教師をつけるパターンです。

 2つ目は、子どもを援助するため。
 子ども自身が◯◯高校に行きたいけれど、どんなふうに勉強していいかわからないから家庭教師をつけてとか。学校の勉強が全然わからへんし、塾ではアカンと思うから家庭教師つけてとか。子ども自身が困っていて、それを手助けするために家庭教師をつけるパターンです。

 1つ目の「親の望みを叶えるため」にだけ家庭教師をつけられるのなら、それは子どものためではなく自分のためにお金を出しているので、そのお金は愛ではありません。自分のためにお金を使っているのですから。

 でも、2つ目の「子どもを援助するため」に家庭教師をつけるのは、親である自分の望みではなく子どもの望みを叶えるためにお金を出すのですから、これは愛です。

 
 僕は家庭教師をやってもらう際、親御さんにはっきりこう言います。
 「僕は親の願いを叶えるために家庭教師をやっているのではありません。子どもの願いを叶えるために家庭教師をやっています。もちろん成績が上がるように指導します。でも、それは◯◯くんがそう望んだからです。ただし、やり方は全部こちらに任せて下さい。宿題をもっと増やしてほしいとか言われましても増やしませんし、もっと勉強するように言ってほしいと言われましてもそんなことは言いません。逆にできるだけ楽をしていい点数を取ってもらえるように指導していきます。それこそがこの子が望んでいることですから。悪い言い方ですが『親の手先』には一切なりません。
 僕は子どもの援助をするためにこの仕事をしています、親を援助するためではなく。それがうちの指導方針です。それでもよろしいですか。」

 これは親御さんにとったら厳しい宣言だと思うのですが、不思議に皆さん同意して下さいます。
 やっぱり親は子どものことを愛しているんですね。

 「どうかこの子の力になってやってください。」
 そう言って支払われるお金はまぎれもなく愛です。

 その親心には、その親の愛には是非とも応えたい、そう思っています。
 



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2015年09月02日

ドラえもんのような家庭教師になりたい

 先日8月30日(日)夜の9時から映画「STAND BY ME ドラえもん」がありました。

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 (映画「STANND BY ME ドラえもん」予告編3より)

 ドラえもんはのび太の子孫であるセワシくんが、ご先祖さまがあまりにもだらしないと子孫である自分たちが困るから、しっかりするようにと送り込んだネコ型ロボットです。ドラえもんは色々な秘密道具でのび太を助けたり、望みを叶えたりします。

 ドラえもんって考えると不思議な存在です。

 友達っていえば友達と言えるかもしれないけれど、友達と決定的に違うところはドラえもんには「のび太くんをしっかりさせる」というミッション(使命)があるということです。そういう意味では家庭教師のお兄さんに近い存在ではないでしょうか。

 そんなふうに感じるせいでしょうか。
 ボクは生徒達のドラえもん的存在でありたいといつも願っています。
 秘密道具こそ出せませんが、宿題を手伝ってあげたり、学校でわからなかった問題を教えてあげたり、一緒におやつを食べたり・・、決まった時間だけではあるけれど、その時間は本当の意味でその子の力になりたい。(本当の意味でその子の力になる、というのはいつも考えさせられます。ただ単に宿題を手伝うばかりでもいけないし、かといって子どもの気持ちを汲むことなしに信頼関係は築けません。その時の子どもの気持ちを優先するか、自分のミッション<学力を上げる>を優先するか、はいつも悩まされます。また学力面だけでなく、その子が社会人として自立していく上で、いま自分はこの子に対してどう関わることがいいのか、という視点でも見ているので日々試行錯誤しているというのが正直なところです。)

 時々、あとで生徒達にやってもらう算数や数学の問題をボクが先に解いて「ジャジャーン!正解消しゴム!」、書いたあとがうっすら見えるように消しゴムでうす〜く消す、なんてこともやってます。
 「この正解消しゴムで消すと、正しい式と答えがうっすらと浮かび上がってくるんだ」なんてふざけながら勉強を教えることもあります。

 
 ドラえもんは秘密道具を出すことによってはのび太くんをしっかりさせるというミッションを果たしているようには見えません。
 では、ドラえもんは何によってのび太くんをしっかりさせたのか?
 それはドラえもんとの強い絆がのび太くんを強く、しっかりさせたのです。

 家庭教師は何によって子どもの潜在している意欲や能力を引き出すのか?
 それも同じく子どもとの絆なのです。
 「先生は気持ちをわかってくれた」「先生は認めてくれた」「先生はほめてくれた」そういうところから生まれる家庭教師に対する子どもの信頼感、それこそが子どもの「よし、がんばろう!」という意欲や能力を引き出すのです。

 
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2015年08月28日

『自分の殻を破る』前向きな悩みと捉えてみる


 先日のブログ記事、5月21日の『大人になっても幸せな親子関係であるために』にコメントを頂きました。

 そのコメントの返事を書いていたら、これは多くの人が抱える悩みだし、記事にして皆さんに読んでもらいたいと思ったのでここに転載します。

  < コメント >

先生こんにちは、
私は、44才の高校生の母親です。実は、私は、自分の母親とうまくコミュニケーションがとれません。
帰省も、だんだんと億劫になっています。

おっしゃるとおり、私は、母に気に入られようと良い子でいるようにしていました、母が怒ると、すごく怖く、悲しくなりました。わたしは反抗期はなかったですが、心の中で反抗してました。

いま、大人になっても、周囲の評価がとても気になります。
いま、大人になっても、こんな発言は、こんな行動は...など、いちいち自分のやることをセーブしたり、責めたりします。

とはいえ、母は、わたしをなに不自由なく育ててくれました。

これから、私は、どうすればいいでしょうか?どうすれば、母とうまくやっていけますか?



 < 回答 >
 
 そうでしたか・・。
 母親に気に入られようと無理して良い子でいたり、怒らせないようにと気を使っていたりすると、なんか会いたくなくなってしまいますよね・・。
 しんどいですもんね。
 それは悪いことではありません。
 誰でもそうなってしまいます。

 会いたくなかったら、適当な口実をつくって出来るだけ会わないようにしてもいいし、無理して合わせてうまくつきあう必要はありません。
 
 今まで無理してつきあってきたから、嫌になっているので、言いたいことを遠慮なく言えるようになればしんどくなくなります。

 断りたい時は断る。言いたいことは言う。
 遠慮せずに自分の気持ちを正直に言うということが大切です。ケンカになってもいいし・・。
 「無理しない、フリしない、気にしない」ことが大事かな。

 いま、大人になっても、周囲の評価がとても気になるとのこと。

 それはもちろん育てられ方にも大きく原因しているかもしれませんが、ほとんどの人が周囲の評価を気にして生きていますよ。
 みんな周りからどう見られるのか、が一番気になることなのではないでしょうか。

 それは変えられますよ。

 そういう自分を抑えた窮屈な生き方をもっと自分らしい生きたい方に変えたいと本気でお考えなら変えられますよ。

 自分のありかたは自分で決められるし、それは今すぐ始められることです。

 あなたはどうありたいですか?

 自分はどんな人間でありたいですか?
 どんな人生でありたいですか?

 自分に正直に問いかけてみてください。

 お母さんとうまくやっていきたいのですか?
 それとももうつき合いたくないのですか?
 お母さんを許したいのですか?
 許したくないのですか?
 この質問に正しいとか間違ってるとかはありません。
 正解もありません。

 あなたがどうしたいのか。

 したいようにしていいんです。
 それが自分らしく生きるということです。

 もし、そう出来ないのはお母さんにそう育てられたからとお考えなら、それは違います。
 もうあなたは自分の意志で自分のありかたも自分の生き方も決められる年齢だし、その力もお持ちです。

 自分の人生は自分で決めたものです。

 だから自分が好まないありかた、生き方になっているのならいつでも変えられます。

 お母さんとうまくやっていくことも出来ますが、うまくやっていかなくてもいい。そこは自由だし、善悪で言うことでもありません。
 そうではなくて、お母さんとどんな親子関係でありたいか。
 相手のあることだから、自分の思うようにはいきません。だったら、そういう相手と自分はどうつきあっていきたいのか。

 この悩みがきっとあなたの自己実現、自分らしく生きることを助けてくれます。

 30代までは家庭や社会人としての自分を確立することや、子どもを育てることに必死で、自分らしく生きるとかそんなことは考えられなかったと思います。
 でも人生の折り返し地点、ターニングポイントである40歳を過ぎて、いよいよ人生の後半のテーマである『自己実現』とか『自分らしく生きる』ということが大きく浮かび上がって来たとも考えられます。

 これを『自分の殻を破る』前向きな悩みと捉えて、この悩みと真っ正面から向き合ってみて下さい。
 どっちに転んでも良い方向に行きます。
 
 いい言葉教えといてあげます。

 「開き直れ!開き直ったところに道は開かれる」

             by はせがわみつる

 
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2015年08月23日

子どもにとって親とはどんな存在なのだろうか


 子どもにとって親とはどんな存在なのでしょうか。
 それは国民にとっての国家のあり方ととても似ているように思われます。

 国民にとって国家とは自分たちを保護し守ってくれる存在であると共に、自分たちを統制し管理し、支配する存在にもなります。
 それは北朝鮮や中国、戦前の日本なんかを思い浮かべるとよくわかります。
 国家が国民の守護者ではなく支配者になってしまうことは決して珍しいことではありません。

 そういう視点で親子関係を見直してみるとどういうことが見えてくるでしょうか。

 確かに親は子どもの面倒を見、世話をし、『保護者』という言葉どおり子どもを保護しています。
 一方で親は、子どもを自分の思うような子に育てたいと願っていて、もしくはそこまで積極的な思いはなくても「こうあってほしい、そうあってほしくない」と望んでいて、そういう自分の思いから子どもをしつけたり、教育したりしています。これは親であれば当然のように思えますが、一歩間違えれば子どもの自由を奪い、子どもの人権を侵害することにつながります。

 ええ〜っ、そんな大袈裟な・・、
 と思われるでしょうか。

 でも、もし国家が国民に対して「国の政策に従順な国民であってほしい」と望んで、そのように教育をしたり、情報操作するとすれば、これは明らかに国民の自由を奪い、人権を侵害することになります。それは決して国民のためではありません。それは為政者のエゴです。

 もし夫が妻に対して「自分の望むような妻であってほしい」と教育し始めたらどうなるでしょうか。
 そんなことをしだしたらケンカばっかりになってしまうでしょう。
 そんなものは愛ではなくてただのエゴだからです。

 教育とは子どもを親や教師の思ういい子に育てることではなくて、子どもの内なる命の自己実現を援助することではないでしょうか。
 親や教師が子どもに期待したものを実現させることは善ではありません。
 子どもが自分に期待するものを実現することをたすけること。
 それは積極的なものではなく、むしろ控えめで受け身的なもので、たとえるなら、子どもが自分に期待できること、そんな自信が持てること、その期待を実現しようとする勇気が沸いてくること。
 そういう子どもの内なる自己成長力を引き出すこと。
 それこそが教育だと思います。


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2015年08月20日

消極教育の大切さ 〜子どもの内なる自己成長力について〜


 フランスの思想家ルソーは、幼少年期にふさわしい教育として「消極教育」を提唱しています。

「消極教育」とは、大人側からの強制的な教え込みを否定し、個性に合わせて子どもの発達を援助しようとするものです。 彼は、大人が子どもの将来を先取りして、積極的に教え込もうとする積極教育を批判しています。

 ルソーやフレーベル(世界で最初の幼稚園を作った人)、
 つまり現在の幼児教育を作った人たちは子どもに対して尊敬の念を持っており、子どもに神性(善性)を見ていました。  

 今日の教育の根本的問題点は子どもを大人より未熟な存在とみなし、リスペクト(尊重する、尊敬する)の気持ちを持たず、子どもを大人の思い通りに育てようとするところにあります。  
 子どもはもともと善なる存在です。
 自ら学び、成長、向上する存在です。
 
 その善性(自己成長力)を信頼し、それが最適に発揮できるよう環境を整えること。
 そして、最大の環境とは親自身であることを自覚すること。

 この2点が子どもを健全に、その能力・才能を最大限に引き出す上で非常に重要です。  


 子どもの自己成長力が最大限に発揮されるためには
 
 1、子どもが十分に愛されていると実感し、安心していられる   

 2、子どもの気持ちが尊重され、ありのままが受け入れられている   

 3、親子、夫婦の仲がよく、家庭が笑顔に満ちている  

 があげられます。

 「あいじょう」「あんしん」「ありのまま」の3つの『あ』に、仲良く、楽しく、機嫌良くを加えたら、それが子どもの自己成長力を最大限に伸ばすことにつながるということです。
 
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2015年08月12日

子どもを本当に善くするのはあたたかい親子関係と「よくやった」「誇りに思っているよ」という親の思い


 お盆が近づいてくると思い出す映画があります。
 『異人たちとの夏』という1988年の日本映画です。

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 どんなストーリーなのかというと・・

 主人公は40歳の人気シナリオライター。
 妻子と離婚し、今はマンションで一人暮らし。
 忙しく華やかな暮らしの中にも時々空しさを感じるときがあります。
 ある日、彼は死んだはずの父親と母親に出会います。
 (彼の両親は彼が12歳のときに交通事故で亡くなっています)
 言われるままについていくと・・
 そこは30年前の東京の下町のようなところ。
 夢か現実か、
 懐かしいような幻想的な場所で
 彼は両親とあたたかく心安らぐ時間を過ごします。

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 彼はその後、頻繁に死んだ両親に会いにいきますが、
 どんどん衰弱していきます。
 彼のそんな様子を心配した恋人の忠告を聞いて彼は両親と会うのをやめることを決意します。
 そしてそれを伝えに両親のもとに行きます。
 その場面が秀逸なのです。

 最後に親子3人で浅草ですき焼きを食べようということになり、その店での会話。

 父「(お店のお姉さんに)こいつあねえ、えらい奴なんですよ。両親を12歳でなくしてね、それなのに頑張ってね、こんなに立派になりやがって、ホント偉いよ。よくやった。』
 母「ほんとにね・・。お前のことを誇りに思ってるよ。」
 主人公「ううん、俺なんて・・。離婚して・・、それに較べて・・、父さんと母さんがこんなにあったかいなんて、俺びっくりしたよ・・」

 両親の姿が少しずつ薄れていく・・
 そして完全に消える。

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 主人公「ありがとう・・。どうも、ありがとう・・。
     ありがとうございました。」


 その両親ていうのが、がらっパチで息子と花札をいっしょにしようと言い出すようなお世辞にも模範的な親とは言えないお父さんとお母さんなんだですけれど、人間らしくてあたたかいんですね。
 そして、息子のことはとても大切に思っていて、そして息子の善さや素晴らしさもよ〜くわかってくれているんです。
 だから最後の別れに際して「よくがんばった」「誇りに思っているよ」という言葉になったんですね。

 その言葉を聞いたとき主人公は本当の意味で自分の至らなさや傲慢さを自覚し、反省します。
 そして両親に感謝と敬意を感じます。
 それが「ありがとうございました」という丁寧な言葉に表れています。

 ただの映画なんですが、「あたたかくて信頼し合える親子関係」の大切さと「いい親になろうとせず、いい子に育てようとせず、ありのままの自分でありのままの子どもを愛し育てていく」ことの大切さを本当にうまく表現した映画です。
 

 
 
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2015年08月11日

正しい子育てなんかない!子育ては楽しんだもん勝ち


 一番下の長男(26)で広島で働いています。
 一番上の長女(30)は京都で働いています。
 真ん中の次女(28)は姫路で専業主婦をしています。
 自由に育てたので、性格も生き方もバラバラです。
 僕と妻との子育てが果たして正しかったのかどうか、
 それはわかりません。

 皆さんも子どもを育て終わられたらお分かりになると思いますが、自分の子育てがよかったかどうかなんて最後までわかりません。
 ただ、子どもたちから「この家の子でよかった」と言ってもらってるので子どもたちにとってはいい子育てだったのかもしれません。といいいましても「金持ちの家に生まれてたら、もっと嫌な奴になってたと思う」という消極的な理由なので、あまり偉そうなことは言えません。

 自分たちの子育てが正しかったかどうかはわかりませんが、子どもがまだ小さかった頃、みんなで狭い家でワイワイ言いながら暮らしていた頃は「楽しかった」ことは事実です。これは家族全員が同意してくれると思います。

 「楽しかった」けれど、もう一度あの生活に戻りたいかと問われたら戻りたいとは思いません。
 もう十分堪能しました。
 本当に楽しかった。
 それを味わい尽くしたから「戻りたい」とは思わないのでしょう。例えるなら若い頃やんちゃをして、めっちゃ楽しい青春時代を過ごしてきて、思いっきり青春時代を生きてきたからこそ悔いはないし、その頃に戻りたいとは思わないのと同じです。

 正しい子育てはないけれど、楽しい子育てはある。

 だから子育ては難しく考えずに、楽しんだもん勝ち、味わったもん勝ちなのです。



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2015年08月08日

子育ては親を成長させるためにある


 子育てというものは、子育てが終わってからようやくわかるものです。
 子育ての最中はただただ夢中で、未熟な親のまま育てているというのが本当のところです。
 前々から「それでいいんだ」とは思っていましたが、
 今日ふとあることに気づいて本当に「それでいいんだ」と腑に落ちました。

 子育ては親を成長させるためにある。

だから、失敗してもいい、回り道してもいい。ちゃんと気がついて、その失敗から学べばそれでいい。

子育ては子どもを育てることを通して親である自分が成長するためにある。

そう考えるとすべてのことが腑に落ちました。



 
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2015年08月03日

どうして家では正しいことを言ってはいけないの?

 
 先日、拙著「あなたも子どももそのままでいい」を購入していただいた方からこんな質問がありました。

 「本の中に長谷川家家訓として『家では正しいことは言うな。楽しいことを言え。』とあったのですが、どうして家で正しいことを言ったらいけないのですか。子どもに正しいことを教えるのは親の務めではないのですか。」

 たしかに子どもに正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると教えることは親の務めだというのは至極もっともな話です。
 『家では正しいことは言うな』と言うのであれば子どもに何も教えられないし、ちょっとおかしいんじゃないかという疑問が起こっても当然です。

 これはいつも正しいことは言うな、ということではありません。
 時には子どもに正しいことも言わなければならない時もあります。
 でも、できれば家では正しいことを言うのは控えるように心がけましょうということです。

 その理由は、正しいことというのは人を窮屈にさせるものだからです。
 「〜しなければならない」といった義務や「〜してはいけない」といった禁止事項が多いと本来安らげるはずの家庭がそうではなくなってしまいます。
 
 また「正しさ」というのは家によっても個人によっても違います。
 正しいことを言うというのはある意味『自分の正しさ』を押しつけることにもつながります。
 押しつけられた方は反発し、そこにケンカが起こります。
 今世界各地で戦争や紛争が絶えませんが、戦争というものはすべて「正義の名の下に」行われています。
 イスラム国にしても彼らにとっては正義の戦争、聖戦なのです。
 家がもめる時も結局はお互いの「正しさ」のぶつかりあいであり、それぞれに言い分があるのです。
 自分の正しさにとわれるのではなく、そこから自由になっていくところにこそ家庭の平和や安らぎがあると僕は思うのです。



 
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2015年07月24日

子どもの自己肯定感はこういう所から生まれる


 ある小学生の作文に感動しました。
 というよりその作文の中に書かれているお母さんの言葉に感動しました。

 千葉県佐倉市立井野小学校5年生 山本花菜(はな)さんの「私の中のかいじゅう」という作文です。

 お母さんありがとう。私の中の小さなかいじゅうを、あたたかく見守ってくれて。

 私の心の中には、小さなかいじゅうがいます。
 普段はおとなしくしているけれど、しかられると、とつ然大きくなってあばれだします。
 そしてお母さんを困らせて、またよけいにしかられます。

 たとえば、弟とけんかした時、お手伝いをさぼった時、ついだらだらしてしまった時に、しかられます。
 私はそんなに怒らなくてもいいのに、と思い、つい口ごたえしたり、たまに、泣いて大さわぎしてしまいます。悔しくて、悲しくて、もっと分かってほしいのに、と思います。
 時に、足をドンドンとふみならして、お母さんなんて大きらい!とまで、思ってしまいます。

 でも本当は、お母さんのことが大好きで、言うことも聞きたいです。
 しかられていっぱい反こうした後は、さびしくて、胸が何かにギュッとしめつけられたような気持ちになります。あんなこと言わなければよかった、と後悔します。
 
 どうしてだろう。
 どうして自分の気持ちをおさえられないのかな。
 お母さんのことが大好きなのに、どうして困らせてしまうのかな。
 私がなやんでいると、お母さんが言いました。

「あのね、花奈の中には小さなかいじゅうが住んでいるんだよ。納得がいかないことがあると、すぐにあばれだすんだよ。でも、悪いかいじゅうではないよ。心が成長するのに必要なかいじゅうなんだよ。誰の中にもいるし、実はね、お母さんもまだこっそり飼っているのよ。」

 私はなるほど、と思いました。
 そして、もしかしたら、心の中で飼っているかいじゅうは、体が大きくなるにつれて小さくなるのかな、と考えました。
 私はお母さんに言いました。
「でもさ、花奈のかいじゅうは、同じ年の友達よりも、少し大きめかもしれないね。」
 それを聞いてお母さんは、大笑いしました。そして、
「花奈の中のかいじゅうも、好きだよ。」
 と言ってくれました。私はほっとしました。
 たくさん反こうするのは、悪い子がすることだと心配になったけど、かいじゅうがいるのはおかしなことじゃないんだ、と分かったからです。
 でも私は、できるだけかいじゅうにあばれてほしくないです。
 好きな本をじっくり読んだり、家族とたくさんおしゃべりしたり、愛犬と遊んだりすると、おとなしいままでいてくれることに気づきました。

 私のかいじゅうは時々やっかいだけれども、どうやら長い付き合いになりそうだから、ずっと仲良くして行きたいです。
 お母さんありがとう。私の小さなかいじゅうに気付いてくれて、好きだと言ってくれて、本当にありがとう。




 子ども、特に女の子は発達の段階ですぐにキレたり、感情を爆発しやすい時期があるように思います。
 そういう時期の子どもの癇癪(かんしゃく)をお母さんは『かいじゅう』と表現しました。
 そしてその『かいじゅう』は悪いかいじゅうではなく、心が成長するのに必要なかいじゅうだとこの子に教えてあげます。
 そして、その子の中にいるかいじゅうも好きだよと言ってくれます。

 お母さんのこういう言葉がどんなにかこの子の心を救ったことでしょう。

 5年生といえば早い子であれば、思春期の入り口にさしかかっている子もいます。
 体も心も変化しはじめ、心は落ち着きをなくします。
 こんなとき一番頼りにしている大好きなお母さんから、自分がダメだと思っている欠点を「ダメじゃない。それは誰にでもあることで、そのダメな部分も大好きよ。」と言ってもらえたらどんなに安心出来ることでしょう。

 自己肯定感とはこういう所から生まれるのだと思います。
 
 自己肯定感とは、出来る自分や強い自分になって自分を肯定したり好きになったりすることではなく、自分の中のダメな部分も「ありのままの自分」として受け入れられるようになることなのです。

 だから、子どもの中の一見ダメに見える部分、欠点に思える部分も大切にする。
 「そこも大好きなあなたの大切な一部分なのよ、だからそういうところも大好きよ」と伝える。
 そういう大きな愛が子どもの自己肯定感を育てます。

 不思議ですが、こうして欠点である「かいじゅう」を肯定してもらえたら、「かいじゅう」はもう暴れなくなるのです。
 なぜか?
 自分を理解し受け入れてもらえたので、もう暴れる必要がなくなったからです。
 欠点は直そう直そうとしている間は直るものではく、理解し受け入れてもらえたとき直るものなのです。



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2015年07月23日

それってあなたの姿かもしれません 〜子育ての過程で出会うのは『ありのままの自分』〜


 ある小学校に講演に行ったとき、一人のお母さんからこんな相談を受けました。

 「小学校1年生の男の子なんですけど、私がスキンシップをとろうとしたり、ハグしようとするととても嫌がって逃げ回るんです。どうしてなんでしょうか?そんな場合はどうしたらいいですか?」

 そうですか・・。
 小学校1年生なのにスキンシップを嫌がる?
 ふつうそのくらいの年齢ですとまだまだハグしてもらえるのは嬉しいものですけどね。
 ところでご主人との夫婦仲はどうですか?

 「別に悪くありません。」

 そうですか。
 ではご自身のお父さんお母さんとの仲はどうですか?

 「母とはうまくいってますし。父とも最近はうまくいってます。」

 そうですか・・。
 ご主人ともうまくいってるし、お父さんお母さんともうまくいってる・・。
 では、ご主人の方のご両親とはどうですか?

 「関わっていません。つきあいしていません。」(ご主人の実家とは絶縁状態で、この方がお付き合いを拒絶されているとのこと)

 そうでしたか。
 子どもさんはあなたからの接触を拒絶されているし、あなたも義理のご両親からの接触を拒絶されている。
 そっくりの構図ですね。
 あなたが子どもさんからスキンシッップを拒絶されてとても寂しい思いをされているように、向こうのご両親も接触を断たれて寂しい思いをされているんじゃないでしょうか。
 それを子どもが身を以て教えてくれているんじゃないでしょうか。
 この二つの問題はリンクし合っていて、あなたが義理のご両親を許してあげてまた仲良くお付き合いされるようになれば、子どもさんも素直になってスキンシップを嫌がらないようになるのかもしれませんね。
 
 その方はハッと気づかれたような顔をしておられました。
 ただ、義理のご両親とのことはそれがわかったからといって、すぐに和解出来るほど簡単なものでもなさそうでした。

 大概の問題はそうでしょうね・・。
 でも、だからこそそれを乗り越えて和解することが出来たとき、人間として成長したといえるのだと思います。


 僕は人間が成長するということは「ありのままの自分を許し、受け入れられるようになること」であり、その結果「他者を許し、受け入れられるようになること」だと思っています。
 つまり心が広く寛容になること。
 それは他者を理解しようという『謙虚さ』ともつながっています。

 子育ての過程で出会うのは「ありのままの自分」そのものです。
 子育てには親の本音が出ます。
 そして、すぐに自己批判したり自己嫌悪するのではなく、静かに「ありのままの自分を見つめる」ことこそが大切です。
 そして、それを受け入れる。
 「ああ、自分にもとても計算高いところがあるんだなあ」
 「ああ、自分は子どものためにとか言ってるけど、結局自分が悪く見られたくないんだなあ」
 とか自分の中のいろいろな汚い心(本当はキレイも汚いもありません)も素直に認めて受け入れていく。
 実はそれが人間的成長なんです。
 なぜかというと認めて受け入れると、そういう無意識にあった汚い心が意識化されることによってコントロール出来るようになるからです。

 ちょっと違う言い方しますね。
 今まで仲間はずれにされ、汚いと嫌われていた自分の心の一部である「自己チュー君」が、自分の心の他のみんなから「戻って来て」とあたたかく迎え入れられたら、もうみんなを困らせる必要がなくなって善い「自己チュー君」に変わってしまう。
 そんな感じです。
 
 
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2015年07月20日

めいちゃんにプレゼントをいただきました


 7月12日(日)の第39回ペアレントセミナーの日に、毎回夫婦で参加して下さる方が「孫のめいちゃんに」と手作りのおもちゃをいただきました。

 この土曜日にめいちゃんに渡しました。
 早速遊んでました。

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 プレゼントありがとうございました。
 


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2015年07月18日

「親に無理矢理やらされた習い事とか、大人になった今、親に感謝しているのですが・・」


 7月12日(日)のペアレントセミナーの質疑応答の時間に、こんな質問が出ました。

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 「私は子どもの頃、親に無理矢理やらされた習い事とかあったんですが、いま大人になってそれが役に立っていたりして、親に感謝している所もあるのですが、そのあたりはどう考えたらいいでしょうか?」

 今回のペアレントセミナーでは『子どもの気持ちを尊重していきましょう』という話だったので、その逆といいますか、無理にやらされたことでも大人になって「あの時は嫌だったけど、無理にでもやらされてよかった」ということもあるんじゃないですか。その点はどうなんでしょう?
 というお尋ねでした。

 それに対してこんなふうにお答えしました。

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「そういうこともあるでしょうね。
 その時は嫌だったけど、今になったら『よかった』て思えることもあると思います。
 僕はよく『習い事は2つまで。一つは親が習わせたいこと、もう一つは子どもが習いたいこと。』て言うんです。だから、親が習わせたいことを習わせるのは悪いことではないと思っています。
 大切のは全部親が習わせたいことばかりにならないことです。
 また、習い事を2つまでにして子どもから遊びを奪わないことです。
 子どもは自由な遊びを通じて、世の中に出てから役立つ創造力や共感力を養い、自分を表現することを学びます。だから、習い事をいっぱいやらせることで子どもから遊びを奪うことには反対です。
 でも、親がバレーを習わせたい、英会話を習わせたい、スイミングはやらせたい、と思うこと自体は全然悪いことではないし、子どもも習いたいと言うのであれば2つまではやらせたらいい。
 ただ『やめたい』と言い出したらやめさせてあげてね。」

 そのようにお答えしました。

 僕が言いたかったのは、親が『子どもを大切にする』ということはどういうことか?
 それを真剣に考えてほしいということです。
 親が良いと思うことを押しつけることは決して『子どもを大切にする』ことにはつながりません。
 それは親のエゴです。
 でも、子どもの気持ちを聞いて、子どもの言う通りにすることばかりも『子どもを大切にする』ことではありません。
 時には子どものためを思って言うべきことを言うことが『子どもを大切にする』ことにもなります。

 だから、こうしたらいいと一概にはいえません。
 でも、「子どもにとってどうしてやるのが一番よいのか?」その視点を失わずに、そしてそのことを色んな側面から見て、こうしようと親が決めたらそれが一番いいように思います。
 何が正解とかはありません。
 そこに愛が表れているならそれでいいのだと思います。

 

 
posted by 長谷川 at 13:42| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月04日

小杉英了先生の新刊が出ました!


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 20年ほど前、僕は「姫路シュタイナーを学ぶ会」でドイツの教育思想家であるルドルフ・シュタイナーの思想を学んでいました。
 そのときの講師をして下さっていたのが小杉英了先生です。
 僕はその会のちょっと浮世離れした雰囲気が好きだったし、個性的であたたかいその会のメンバーが好きだったし、講師の小杉先生の『個人の自由』を徹底的に尊重されたその姿勢が好きでした。
 僕にとって今も小杉先生は講師としての鑑です。
 今、僕が主宰しているペアレントセミナーにおいても、小杉先生のその姿勢から学んだことが多いです。
 その会で、あるご婦人がこんな質問をされた時がありました。

 「シュタイナーを学んでいますと、つまりこういう精神的なことや哲学的なことを学んでいますと、俗っぽいことばかり言う主人が馬鹿みたいに見えてきまして・・。やはりシュタイナーを深く学んでいきますとそのように感じてしまうものなのでしょうか?」

 それに対して小杉先生は即座にこう答えられました。
 「人が馬鹿に見えてくるようなものであれば、そんなものは学ばない方がいいです。学べば学ぶほど謙虚になって、人を尊敬できるようになるのが本当の学びではないでしょうか。学んで傲慢になるくらいなら初めから学ばない方がいいでしょう。」

 僕はこのとき小杉先生の『学ぶことに対する厳しい姿勢』、常に真摯に自らを振り返る姿勢に感銘を受けたのを覚えています。

 小杉先生はまた「来たい人が自由に来たらいい。聴きたい人が来てくれたらそれでいい。この会やシュタイナーの思想を広める必要はない。この会は自由を大切にしたい。」とも仰っていました。

 小杉先生は本当に『個人』とか『自由』を大切にされる方でした。

 そんな小杉先生が『先導者』で角川の日本ホラー小説大賞を受賞されたのが3年前。
 作家デビューされて3作目になる今回の作品『赤い呪縛』。
 今から読むのが楽しみです。

 小杉先生、心から応援しています。
 先生の作品がいつの日かドラマや映画になる日を楽しみにしています。
 
 
posted by 長谷川 at 14:44| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月19日

父親の愛情、威厳はどう表せばいいのか


 昨日、子どもたちから父の日のプレゼントをもらいました。
 キーホルダーです。

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 結婚記念日、誕生日、父の日と毎年律儀にプレゼントをくれる子どもたちです。
 結婚記念日と誕生日にはいつも手紙やカードも添えてくれます。
 
 たぶん自分は世の中のお父さんの中でも随分幸せなお父さんなんだと思います。
 何も家族のために生きて来たわけでもないんですけれども。
 妻や子どもには随分苦労もかけてきたし、今も色々と苦労をかけているし・・。
 こんな幸せなお父さんでいられるのはきっと妻のお蔭が9割だと思います。
 
 あとの1割は『家族のためにではなく自分のしたいことをしたから』だと思っています。
 もちろん家族が生活するためにはお金もいりますし、子どもを大学にやらそうと思ったらそれ相応のお金もいります。それはなんとしてでも稼ぎ出さなければなりません。
 そのお金がなければ借金してでも作らなければなりません。
 それは子どものためではありません。自分のためです。
 自分がそうしたいのです。
 お金がないから子どもが大学にも行けないなんて、そんなこと自分が許さない。
 なんとしてでも行かす。
 これは子どもの問題ではなく、自分の問題です。

 一度、一番上の長女にこう聞いたことがあります。
 「お父さんのこと尊敬してる?」
 すると長女は「う〜ん、してるかな。」
 「どこ?」て訊いてみると
 「うちの経済状態で子どもを大学に、それも私立大学にやらそうと思うその心は尊敬する。」
 と言っていました。
 
 父親が子どもに愛情表現することはとても難しいものです。
 ましてや父親の威厳を示すことはもっと難しいものです。
 それは決してひとりよがりや自己満足であってはなりません。
 子どもがそう受け取ってくれてはじめて、それは父親の愛情となり父親の威厳となります。
 
 「お前たちの希望はなんとしてでも叶える。それがお父さんのしたいことや。」

 それを言葉にせずに、心底そう思っていたところに愛情と威厳を感じてくれたのかもしれません。
 
 

 
posted by 長谷川 at 18:52| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

子どもの問題は親の問題、子どもの姿はあなたの心の姿


 子どもの問題は親の問題。
 悪い子なんて一人もいません。
 問われているのは
 子どもをどうするかではなく
 親である自分のありようです。
 
 夫婦関係はどうですか。
 心を開いて何でも話し合えていますか。
 お姑さんとは上手くいっていますか。
 我慢ばかり、避けてばかりになっていませんか。
 実のお父さんお母さんとの関係はどうですか。
 今の自分は好きですか。
 自分らしく生きられていますか。
 したいことはやれていますか。
 自分を大切にしていますか。
 人生を楽しんでいますか。

 子どもの姿はあなたの心の姿です。
 子どもを変えようとするのではなく
 ようく見てみれば
 あなたの心が見えてきます。
 自分の心が見えてくれば
 どうすればいいかも見えてきます。



 
posted by 長谷川 at 11:48| Comment(4) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

人を幸せにするもの


 人を幸せにするものってなんでしょう?
 それは「あたたかい人間関係」です。
 そしてそれが最も必要な場所が家庭です。
 つまり、あたたかい親子関係や夫婦関係が人を幸せにするのです。
 あたたかい家庭とは、助け合う、認め合う、許し合う、笑い合う家庭のことです。
 助け合うとは「大丈夫、一緒にがんばろ」と安心させてあげるということです。
 認め合うとは「今のあなたが大好き」ということです。
 許し合うとは「あなたのままでいい」ということです。
 そうして、堅いこと、正しいことは言わないで、楽しいこと、アホなことを言って笑い合う。
 そんなあたたかい家庭を幸せな家庭と呼ぶのです。




posted by 長谷川 at 12:10| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

なんて嬉しいことを言ってくれるんですか・・、その一言に励まされます 


 時々、本「あなたも子どももそのままでいい」のご注文をメールで頂きます。
 そのとき注文して下さる方がちょっとした一言を書き添えて下さったりします。
 そのちょっとした一言が本当に励みになる時があります。
 
 今日も本の注文をメールで下さった方からこんな言葉を頂きました。

   昨年11月に先生のお話を聞かせて頂きまして、
   とても励まされました。
   いつも先生のお言葉を思い返しながら、
   子育てに日々奮闘しております。
   先生のお言葉で一人でも多くの方が救われることを
   心からお祈り申し上げます。


 なんて嬉しいことを言ってくれるんですか・・。
 こちらの方こそ励まされました。
 本当にありがとうございます。

 本当に講演活動をしていてよかった。
 本も出していてよかった。
 詩も書いていてよかった。
 言葉で心と心が触れ合う。言葉が人と人とをつなぐ。
 まったく見知らぬどうしが一つの言葉で通じ合えるって奇跡のような気がします。
 感動します。

 もし、皆さんも本を注文して下さる時には何か一言書き添えて下さったら、返事を書きますからね。

 拙著「あなたも子どももそのままでいい」(¥500税込み)のご注文方法
 
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 メールか電話でお申し込み下さい。
 お名前、郵便番号、住所、電話番号、欲しい冊数をお知らせ下さい。
 サインや一言メッセージをご希望の方はその旨お伝え下さい。

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 一言メッセージは他にも
 「 よく見ると うれしいことがいっぱい 」
 「 いい親になろうとせず いい子に育てようとせず 」
 「 愛して放す 」があります。

 電話1(プッシュホン) 079-422-8028 家庭教師システム学院  
 Mail : ksg@gc5.so-net.ne.jp

     <送料・手数料>
   1冊お送りする場合の送料・手数料(振込手数料含む)300円
   2冊お送りする場合の送料・手数料(振込手数料含む)330円
 3〜5冊お送りする場合の送料・手数料(振込手数料含む)420円
6〜10冊お送りする場合の送料・手数料(振込手数料含む)470円
 *郵便局の「ゆうメール」でお送り致します。
    
 お支払いは郵便振込の用紙を同封致しますので、商品(本)到着後1週間以内に郵便局で払い込み下さい。
 

 
 
posted by 長谷川 at 11:45| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする